ミャンマー連邦共和国~経済制裁解除間近の巨大フロンティア

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社
国際事業本部 グローバルコンサルティング部
部長 恩田 達紀 氏三菱UFJリサーチ&コンサ
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国際事業本部 グローバルコ
ンサルティング部
部長 恩田 達紀 氏

ミャンマーは、長期にわたる社会主義体制とその後の軍事独裁政権の下、民主化運動への弾圧、アウン・サン・スー・チー氏の軟禁(2010年11月解除)など、つい最近まで国際的にマイナスのイメージが染み付いた国になっていた。しかし、その実情は日本ではほとんど知られていない。前元首のタン・シエが退きテイン・セイン新内閣発足後の2011年4月以降、目覚しい注目を集める国へと変貌を遂げている。ビルマ族が約3分の2を占め、130以上の多民族国家からなるミャンマーは、真摯な仏教国であると同時に、驚くほどの親日国家である。今後、欧米の経済制裁解除とともに市場の開放が進めば、人口約6,000万人の資源、食料の豊富なASEAN最後の巨大フロンティアは、瞬く間に成長を遂げる可能性を秘める。

■米国の経済制裁は最短で2012年の5月にも解除へ、日本独自のミャンマー観が大切

ミャンマーは、タン・シエ首相が退いた後、総選挙後の2011年3月からテイン・セイン新内閣になり、矢継ぎ早の政策変更(民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏の軟禁解除、政治犯の恩赦・釈放、中国援助の大型ダムの建設中止など)や14年のASEAN議長国承認等、目覚しい変化を見せ始めました。米国国務長官のクリントン氏は経済制裁解除の発動前の11年11月30日にミャンマーを訪問。水面下の交渉から、本格的な解除に向けての話し合いが進み始めたといっていいでしょう。総選挙後1年待たずしてのこの訪問は、12年の制裁の本格解除に向けての序章となり、最短で5月頃に実現する可能性も考慮に入れておくべきだと思います。

ここ最近、国内最大都市ヤンゴン(旧首都)のホテルは常に満室状態です。欧米からの旅行客、視察団、そして日本からも相次いで主要経済団体のミッション団が訪れているからです。「聞くのと見るのと大違いで、行ってみると安全で素晴らしい国」というのが視察後の大方の声です。今も多民族国家をまとめるため、軍事政権が山岳地域の一部の少数民族との対立を続けている構造は変わりませんが、ヤンゴン、マンダレー、モーラミャイン、ダウェーなど、進出候補地となる主要都市は治安も良く、きれいで安全な都市となっています。これもあまり知られていませんが、シンガポールの独立時、リー・クワンユーは当時のラングーン(今のヤンゴン)の町を発展のモデル都市としたのです。

もともと自然環境に恵まれ、米や豆などの穀物や果実がよく取れます。鉱物資源も豊富で、以前はルビーや翡翠が有名でしたが、近年は特に天然ガスの採掘量と輸出が急増しています。天然ガスのタイへの輸出により、外貨が潤沢に入る状況となり、今ではチャット(ミャンマーの通貨)高になってきています。かつて大英帝国は、資源が少なく経済的に貧しかったタイではなく、ミャンマーを重要な植民地にしたかった理由もよく分かります。

繊維・縫製産業が盛んで、民族衣装の袴「ロンジー」を粋にはいている男性も多くいます。女性もおしゃれで、美容にも関心が高く、街行く女性の多くは「タナカ」と呼ばれる天然木由来の日焼け止め化粧をしています。もともと文化水準も高く独自の文化をもち、周辺国と比較しても国民の識字率も高く、勤勉といえるでしょう。初めてミャンマーを訪れた人の多くは、幕末の鎖国時代の日本を欧米人が視察し書いた手記によくみられるような好イメージを受けるようです。

近年では1988年の軍事クーデターやアウン・サン・スー・チー氏拘束、アメリカによる経済制裁強化、続くEUの制裁などでさらに孤立し、1人あたりのGDPは東南アジア最低水準(日本の約50年前と同レベル)に甘んじていました。日本に入ってくる情報も欧米目線でバイアスがかかったものが多く、イメージも「アジアの最貧国」、「民主主義弾圧の国」、「独裁国家」などと地に落ちかけていました。

スー・チー氏の写真がヤンゴンの街中で自由に販売されるようになった(撮影 恩田達紀氏)スー・チー氏の写真がヤンゴンの街中で自由に販売
されるようになった(撮影 恩田達紀氏)

こうした状況には、大きな変化の兆しが見られます。クリントン国務長官は、ミャンマー訪問の際、スー・チー氏とも会談。手を握って肩を抱き合う2人の姿は、ミャンマー国民や世界に衝撃を与えました。まさにこの日を境に、禁じられていたスー・チー氏の写真が載った新聞や雑誌がヤンゴンの町にあふれ出しました。彼女を心から敬愛し、こっそりと彼女の写真を携帯電話の待ち受け画面にしていた多くの人も、堂々とそれらを買い求めたり、話したりすることもできるようになってきています。11年前半までは、なかなかつながらない、届かないことが多かったインターネットやEメールの通信環境も驚くほど改善してきました。これも今の内閣の「ICT構想(ITをてこに国家の透明性を向上させ、開かれた政府・国とする)というテイン・セイン内閣の方針の表れであると言えます。

■市場開放による拡大メコン・マレー経済圏の出現、製造業・サービス業同時に訪れる商機

現時点でミャンマーに進出している日系企業は約50社に過ぎず、03年の本格的な経済制裁強化以降はほとんど投資実績がありません。日本政府は公の経済制裁は課していませんが、経済援助を人道的に限るなど、欧米の追随をしている面も否めませんでした。企業活動も労働集約的にミャンマーでつくったものを日本に戻すCMP(ミャンマーでの委託加工貿易ビジネスの名称:Cutting, Making, & Packing)等の限られたものが主体となっていました。そのため直近の10年程度は、日本は期待はずれと思われていたようです。

この間、一番頼りになったのは中国です。ベンガル湾ルート確保のための南下政策とエネルギー資源確保のための利権を狙っていた隣の中国との関係が急速に密になり、傾注していきました。ただ米国は、中国がミャンマーにこれ以上接近し、ベンガル湾で自由に動かれると困ります。早期の経済制裁解除に向けた動きの裏には、この重要地域における中国の覇権を食い止めたいという米国の意向があると見られています。

各方面で政府から改善方針が提示され始めていますが、とりわけ脆弱な電力供給や通信などのインフラ面が外資系企業参入の大きな障壁です。制度面では、公定レートと実勢レートに大きな乖離がある二重為替相場は経済活動の妨げとなっています。その他、外資に課される税金や電力、通信などのインフラコスト関連が不透明で、現地企業の3~10倍となっているケースもあるようです。

日焼け止めタナカを塗る女性(ヤンゴン市内の露天外食店にて、撮影 恩田達紀氏)

日焼け止めタナカを塗る女性(ヤンゴン市内の
露天外食店にて、撮影 恩田達紀氏)

このように課題は山積していますが、ミャンマー政府は、外資系企業の投資誘致を進めるための環境整備に大きく舵を切りました。直近では天然ガスの輸出を中心にタイや中国との貿易が伸びています。またこの1年、消費市場の拡大に拍車がかかり、華僑系の内資がチェーンストア展開を開始するなど、業容拡大する企業が増えています。市場には経済制裁中の今も、中国やタイ製品が溢れているとともに、韓流ドラマの放映の影響もあり、韓流ファッションや髪型を真似た若い女性たちが町を闊歩しています。現時点の中位年齢は26.5歳(日本は44.6歳:出所CIAファクトブック2011)と若く、高い活力と消費につながっています。

不測の事態などが起きなければ、12年5月頃に欧米の制裁は解除され、市場は急速に開放されると私はみています。また15年が更なる経済成長のターニングポイントとなると予想しています。15年は、ベトナムのホーチミンからミャンマーのダウェー港に至る「メコン南部回廊(カンボジアのプノンペン、タイのバンコク北を経由する幹線道路)」の本格的な開通と港湾の完成とともに「AFTA2015(ASEAN諸国間の関税撤廃時期)」が重なるからです。この時点になると、インドシナのベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、シンガポール、マレーシアにミャンマーを加えた、人口2. 5億人を超える拡大メコン・マレー経済圏が形成されます。製造業では、チャイナ・プラス・ワンがミャンマーまで延び、サービス業にとっては、一気にASEAN最後の巨大市場が開かれることになります。

■ミャンマーはアジアで1、2を争う日本好き 今こそミャンマー戦略立案の好機

現在のミャンマーは製造業・サービス業いずれにおいても本格的な参入を検討するタイミングが来ていると思います。タイ同様、日本や日本企業にとっての親和性は高く、段階的ではあるものの、多くの業種で参入の可能性が広がり始めています。

直近で進出のアドバンテージがある業種業態は、インフラ系業種と労働集約型製造業が挙げられます。日本のODA再開の検討も進み、インフラ系では建設、道路、港湾、電力、鉄道などが有力です。製造業では、人件費が高騰しつつある中国以外の生産拠点の候補となりうるでしょう。中堅技術者の賃金水準は月額70~80USドル程度にすぎない上、理工学系の教育が重視されており、優秀な人材は決して少なくありません。一般工員においても、緻密性や人柄、働きぶりの評価には高いものがあります。

2011年にオープンしたヤンゴン市内の近代的ショッピングセンター(撮影 恩田達紀氏)2011年にオープンしたヤンゴン市内の
近代的ショッピングセンター(撮影 恩田達紀氏)

また、サービス関連の有望業種は、まずは外国人とアッパーミドル以上を狙うホテルやサービスアパートメント、スーパーマーケットや外食などとなります。サービス業を担う人材という観点からみても、タイ同様にミャンマー人の気質は適しています。メンタリティが日本人と近く、相手の気持ちを先回りし、行動につなげます。また「他人の嫌がることは絶対にしない」という上座部仏教の本質的な宗教の教えが根づいているので、気持ちの良いサービスや接客が期待できます。日系企業では、既にYKKなどがサービスアパートの管理・運営を事業目的として進出しています。

今後、消費者向け市場も着実に成長していくと思われますが、自動車や二輪車については注意が必要です。現在走っている車の大半は日本の中古車ですが、交通ルールがアメリカと同じ右側通行なので左ハンドル車の外国車にいきなり取って代わられるリスクがあります。また、販売価格が非常に高く、法律が改正され安くなりつつあるものの、かなり旧型の日本製の中古車でも日本円で300万~400万円以上もすることがあるようです。高額商品を買える層はまだ限られるため、参入の頃合いを見極めることが必要です。なお、二輪車はヤンゴン市内など都市部が規制で走れないので、他の新興国のようにまず二輪車からの普及という発想には障壁があります。また、都市部以外では中国内陸部同様に電動二輪車から普及する可能性もあります。

改革の進展に伴い、日本企業が進出する機は熟してきました。もちろん他国の企業も虎視眈々と進出を計画していますが、今のミャンマーは日本企業で働きたいと、熱心に日本語を勉強している人が多くいるのです。今でもアウン・サン将軍(アウン・サン・スー・チー氏の父親)を含む独立の志士30人に日本が支援して、イギリスからの独立を勝ち得たという歴史的な経緯と親日的教育も素地となり、日本や日本企業へは、他国と比べられないほどの親しみと期待を持ってくれています。欧米人には植民地時代のトラウマが今も見られますが、日本人には助けられたという意識が残っているのです。親日的とされるタイ人、インドネシア人、ベトナム人以上に日本への思いは強いとも言われています。

今まさにミャンマーの位置づけは大きく変化してきており、日本企業にとっても大きなチャンスです。この地域の事業戦略とミャンマーへの参入戦略をしっかりと練り上げる重要な時機が到来したと言えるでしょう。

[ 2012/1/31 更新 ]

http://bizgate.nikkei.co.jp/special/emerging/business/index.aspx?n=MMBIb3000024012012

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About Uy Do

Banking System Analyst, former NTT data Global Marketing Dept Senior Analyst, Banking System Risk Specialist, HR Specialist
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